廣瀬神社今回の最終目的地の廣瀬神社へとやってきました。何故、廣瀬神社へと来たのかといえば、廣瀬神社へとが二十二社のうちの一つだからです。 pleさんに教えていただいた二十二社、ちょっと意識して近くを通った時はその神社を訪ねることにしているのです。 実は私はこの近くに住んでいたこともあるというのに、廣瀬神社を全く知らなかったのです。 鳥居が見えてきました、くぐってみることにします。 廣瀬神社は多くの河川が大和川に合流する地にあり、神徳は五穀豊穣、水難鎮護、河川交通安全など水に関するものが主になっているが、その他、産業振興、安産、厄除招福など数多いのだそうです。 崇神天皇9年(BC89年)にこの地方の長にご神託があり、一夜のうちに沼が陸地に変わり、数多くの橘の木が生えたといいます。 このことが天皇に伝わり、社殿が建てられたとされ、これが神社の創始であるとされています。 主祭神は若宇加能売命、櫛玉命、穂雷命です。 天武天皇4年(679年)に天皇が大忌祭(おおいみのまつり)を4、7月の年2回始められて以来、皇室の崇敬が厚くなったといわれています(廣瀬大社御略記)。 静かな神社でした。 さすがに二十二社に入っているだけあって敷地はかなりの広さのようでした。 さて、最後の目的地であった廣瀬神社を後にして池部駅にむかったのですが途中に古墳がいくつかあったので、ちょっとそばを通って行くことにしました。 大塚古墳です。 5世紀後半に築造された古墳の中では奈良県下で最大級のものです。 【墳形】前方部を南に向けた前方後円墳。3段築成で葺石・埴輪列あり。周壕は後円部側で幅約32m、前方部側で約40m 【規模】全長215m、後円部径108m、高さ15.8m、前方部幅123m、高さ16.9m 【築造時期】5世紀中頃から後半 このあたりは本当に古墳が多く、見る山見る山、古墳に見えてしまいます。 先輩と一つ一つ熱心に古墳を見ながら池部駅まで歩きました。 まあ、古墳と言えばお墓なのですが私たちにとってはお墓というよりもその時代の先端技術の凝縮されたものであり、古代からの贈り物のような気がするのです。 なかなか理解してくださる方はいないかもしれませんね。 まあ、“すきもの”ってところかも知れませんね。(笑) でも、楽しいのだから良いってことにしましょうね。 では、ここまでです。 長いような短い一日でした。 さて、次はどこへ行こうかしら。 楽しみはまだまだ続きそうです。 ジャンル別一覧
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